【建築紙幣発行所|設立趣意】
建築は紙幣ではない。
あるべきかたちを問わず、
ありたい姿を装わず、
あるがままを味わって、
建築のあり方を追い続けたい。
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建物は紙幣ではない。
そのもの自体はただの紙切れとしかみなされない、そこに書かれた数字だけが価値を持つ紙幣ではない。
紙幣に描かれた似顔絵は、誰の脳裏にも焼き付いているはずである。
しかしその顔に刻まれた皺の造形美に心奪われる時間を持った者は、果たしてどれほどいることか。
手にした似顔絵と目を合わせることもなく、わたしたちはただ交換可能な数字に心躍るのみである。
わたしたちにはなにも見えていない。
さながら、掌で光る板の中に垂れ流される雑言に目を奪われて、眼前に繰り広げられる感動をみすみす見過ごす日常そのものである。
道具の進化は人間の退化である。
人工知能のなすがままに目障りのいいものばかりをはべらせて、まるで自分で選び築いたかのような気になっているわたしたちは、ますます愚かしい存在となってゆくだろう。
あるがままを見失ない、なすがままに見栄を張る生き様に、いい加減ケリをつけねばなるまい。
わたしたちは、過去と未来、自然と人工、現実と仮想、男と女、ホンモノとイカモノ、神殿と獄舎、広場と街路、梁と梁、など、ありとあらゆるへだたりの間に生きている。
へだたりをみつけたとき、それを埋めたくなるのが人の常である。
しかし、へだたりは、ただ埋められるためだけにあるのではない。
なにより、へだたりを埋めるその前に、へだたりが生む空白が湛える多様さに、一度目を向けることが肝要である。
へだたりに床を架け渡すことは、ただ埋めることとは同義ではない。
架けられた床は、へだたりをさらに上下に分けへだて、大きな空白を小さな空間の群れへと織りなしてゆく。
空白が空間となるとき、そこには人と人とが流れ交わし、あるいは無視しつつも意識するような、多様な離見を伴った場が生まれる。
床は、表情豊かに踏みしめられる記憶の量塊である。
床はたしかにそこにある。
大切なことは、そこにあることを噛みしめることである。
電子の床を積んだ果てに、フロンティアなどもはやない。
埋めるべき空白は常に、わたしたちの心の内にこそある。
紙幣の紙切れそのものを最も深く愛でることができるのは、その紙幣を刷った発行元である。
建物を数字としての紙幣であるかのようにみなさないよう、紙幣そのものを発行することで自ら戒めたい。
わたしたちは、あるべきかたちを問わず、ありたい姿を装わず、あるがままを味わって、建築のあり方を追い続けたい。
建築紙幣発行所
執筆:種田元晴
「すらぶ」は、幅広い視野から建築を考える、閉じつつひらかれた自由な言論の場です。
遊び心を大切に、わたしたちを取り囲む徑庭=へだたりを、越える、埋める、受け止める建築思潮を探求します。